この映画、料理が話の中心ではありませんが、料理がじつに印象的です。
舞台は中国。1974年の冷たい雨が降る冬の夜、男は家族が住む町へとやって来ます。男の名はルー・イェンシー。もと大学教授でした。しかし、毛沢東が起こした反右派闘争によって、反共産党的な思想を持つ危険分子というレッテルを貼られて17年前に逮捕され、思想改造という名目で強制労働を強いられました。その後、1966年に文化大革命が起こると、かつての知識層や資産家への締め付けはさらに厳しくなり、ルーも解放されることなく引き続き遥か彼方の砂漠で働かされていました。しかし、ルーは愛する妻と娘に会いたい一心で脱走し、監視の目をかいくぐってかつて家族とともに暮らしていたアパートへとたどり着きます。
夫の脱走を知らされていた妻のフォンは、アパートのドアをそっとノックする音を聞いて夫だと気付きます。それでも、党の役人に監視されていることを知っているフォンは、夫を家に迎え入れたと党に知れたら、娘まで右派とみなされて迫害されるかもしれないと恐れて、ドアを開けることができませんでした。文化大革命当時、中国では毛沢東の思惑によって前時代の文化や教育や宗教感を否定し、人々が持っていた価値観を徹底的に破壊することが正しいとされていました。テロリストではなくとも、共産党にとって都合の悪い思想をを持っているというだけでリンチされ、命を奪われることもめずらしくなかったので、誰もが怯えて暮らしていました。
ルーはそんな妻の気持ちを察し、「駅で待っている」と書いた紙きれをドアの下から差し込むと、後ろ髪をひかれながらもその場を立ち去ります。メモを読んだフォンは、夫に会いたい気持ちで居ても立ってもいられず、夫に食べさせるために饅頭(マントウ)を作ります。
饅頭は中国の蒸しパンのこと。米作に適していない華北や東北地方では主食として食べられていました。日本の中華まんのルーツですが、具はありません。17年ぶりに会う夫、もしかするともう二度と会えないかもしれない夫のために作る料理にしてはあまりにも質素です。しかし、文化大革命の時代は産業が停滞して国中が困窮状態であり、さらに反共的として迫害されている家庭が豊かなはずもなく、フォンには作れるものは饅頭が精一杯だったのでしょう。
美味しいものを作って食べさせてあげたい。そうした発想は愛情があればこそ湧いて来るもの。それでも日々ギリギリの生活で、夫の好きな料理を作って食べさせたいのに食材を買うお金がない。多少の蓄えがあったとしても、買い物に出れば監視に気付かれて、夫を危険にさらすことになるかもしれない。だから、質素すぎるけれど、せめて饅頭だけでも食べさせたいという、フォンの切ない思いが涙を誘います。
そして、改めてこの時代の中国の停滞ぶりにも驚かされます。1974年といえば、日本ではハローキティが誕生し、フィンガーファイブが「学園天国」をヒットさせ、テレビでは「アルプスの少女ハイジ」「宇宙戦艦ヤマト」「寺内貫太郎一家」「傷だらけの天使」が人気で、蛍光ペンやペヤングソース焼そばが発売され、新宿西口に新宿住友ビル・KDDビル・三井ビルと3つの超高層ビルが完成した年。それなのに、映画の中の中国の町は古臭い住居で人々は人民服を着てまるで戦時中か終戦直後のよう。歴史的悲劇と言われる文化大革命とその前の反右派闘争によって、中国は30年以上発展が遅れたと言われています。
翌朝早く、饅頭を抱えて駅へと向かうフォン。しかし、駅にはフォンの娘から情報を得ていた党の役人が待ち構えていました。夫は捕えられ、フォンと会うことも叶わずそのまま再び連行されてしまいます。文化大革命では子どもたちも洗脳されて、革命のために共産党に反する思想を持つ者は親でも密告するのが正しい事と信じ込まされていたのでした。
3年後、文化大革命が終わり、政治犯として強制労働に送られていたルーが戻ってきました。しかし、20年ぶりにようやく対面した妻は、記憶障害で夫のことがわからなくなっていました。長年夫に会えない悲しみと、娘に裏切られたショックで精神を蝕まれてしまったのです。一方、文化大革命によってすっかり洗脳されていた娘は、反共的と一方的に決めつけられて拘束されていた父をいたわるどころか、父のせいで自分までもが迷惑を被ったと父を恨んでいました。
その日から、ルーの献身的な暮らしが始まります。自分が夫だと思い出してもらうため、党に派遣された世話人を装って妻に寄り添います。強制労働に送られていた間に妻を思って書いた大量の手紙を、代理人として妻に読み聞かせるルー。
国に翻弄され、めちゃくになった家族。引き裂かれた夫婦の愛。それを取り戻そうと辛抱強く妻を支える夫と、夫だけを思い続ける誠実な妻。あまりにも切なくて、何度も泣かされます。
もしあなたなら、大切な人ともう二度と会えないかもしれないというときに、何を作るでしょうか。心を込めて料理を作る、ということの本質を教えてくれる素敵な映画です。
監督/チャン・イーモウ
出演/コン・リー、チェン・ダオミン、チャン・ホエウェン
原題/帰来
製作/中国 2014年
配給/ギャガ
上映時間/110分
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