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<映画紹介> |
『みかんの丘』 |
今回紹介するのは、ちょっと真面目な社会派の作品です。女性には「そういうの苦手なのよね」という方も多いとは思いますが、外国の料理に興味を持っている皆さんには、ぜひ観ていただきたい内容です。
舞台となっているのはアブハジア。ヨーロッパとアジアの狭間と言われるコーカサス地方です。そう、コーカサスといえば、ケフィアの発祥の地でもあります。アブハジアは、昨年日本政府が呼称をジョージアと改めた旧グルジアに属する自治共和国。事実上はアブハジア共和国として独立国家となっているとも言われています。映画「みかんの丘」は、そのアブハジアの独立をめぐる紛争の時代を描いています。
主人公である老人のイヴォは、みかんを運ぶための木箱を作る職人。みかんの木に囲まれた丘で暮らしていました。隣には友人でみかん農家のマルゴスが暮らしています。紛争が激しくなり、周囲にはこのふたりだけが残りました。彼らの家族も近所の人々も、すでに避難していました。
ある日、彼らの家の近くで小さな戦闘が起こり、のどかな山村に銃声が響き渡りました。戦いが収まると、イヴォは負傷したふたりの兵士を自分の家に運んで看病しました。ひとりはアブハジアの独立を支援するチェチェン人の義勇兵。もうひとりはアブハジアの独立を阻止するジョージアの兵士。敵対する兵士同士が、期せずして同じ屋根の下で過ごすことになりました。
家の中に敵兵がいると知って、怒りをあらわにするチェチェンの兵士。イヴォに「この家の中では殺し合いは許さない」と釘を刺されて大人しくはなるものの、仲間を殺された憎しみは収まりません。そしてある日、体調が回復してきた兵士たちはイヴォに促されて同じテーブルにつきます。
アブハジアでは料理にクルミやパクチーを使うことが多いのだとか。また、主食にはトウモロコシの粉を使ったチャディと呼ばれるパンか、トウモロコシの粉に塩と湯を混ぜて練ったママリガが主流です。残念ながら、映画は紛争中のシリアスなストーリーなので、料理の説明もなく、料理に寄った画像もないのですが・・・。
ふたりの兵士を一緒に食卓に座らせたのは、イヴォの思いがあってのことだったのでしょう。結果的にはピリピリと張り詰めた空気で、和やかな食卓とはほど遠いものとなりますが、この食事の時間を契機に兵士たちの中に敵味方ではなく人間同士としての感情が芽生えます。首脳会談みたいなものにも食事会がつきものであることを思うと、「同じ釜の飯を食う」という言葉が意味するように、食卓を囲むことには人の気持ちを通わせる特別な何かがあるのでしょう。好きな人ができた時も、まず食事に行きますもんね。
映画はこのあと、別の兵士たちがやって来て撃ち合いになり、激しい攻撃が始まって悲しい結末に・・・。敵にも味方にも同じように接し、淡々と人としてすべきことをするイヴォの姿には、平和を願う気持ちと深い悲しみが感じられます。そして、丹精込めて育てたみかんの木を捨てて避難することはできないと言うマルゴスを通して、実直に作物を作る農家の人々の畑に対する強い思いを知らされます。
ちなみに、この映画、アブハジアやジョージアのことを理解していると、もっと味わい深く感じられます。東欧のはずれであるこの地域は、日本人にとってはアフリカや中東以上に知られていないエリアです。旧ソビエト連邦時代よりも以前から、東欧には多くの民族が暮らしていて、それが様々な勢力によって支配を受けるたびに為政者たちの思惑によって統合されたり、国を分けられたり、移住政策が取られたりしたために、とてつもなく複雑でやっかいな状況になってしまいました。
映画の中ではチェチェンの兵士が登場しますが、チェチェンはアブハジアと隣接するイスラム教の国。アブハジア自体にも古くからイスラム教徒はいましたが、あえてチェチェン人を加えることで、様々な国、様々な民族、様々な宗教、様々な言語、様々な立場の人が入り乱れて、ジョージアの入り組んだ社会が形成されていることを表現しています。まさに「それが東欧であり、世界の現状だ」と言うかのように。
じつは、イヴォとマルゴスもエストニア人という設定です。コーカサス地方のアブハジアと、フィンランド湾に面するエストニアでは2,700kmほどの距離があります。そんな離れた国の人たちが、アブハジアの話で主役というのは少々奇異ではあります。しかし、アブハジアが属するジョージアが19世紀にロシア帝国に併合された際に、ロシアに敵対していた住民の多くが国を追われ、その代わりに黒海に面した温暖な気候を求めてロシア帝国内のエストニアから移り住んだ人たちがいたと言われています。そのため、エストニア人の集落もあって、旧ソ連時代になってもエストニアからジョージアに移住する人たちがいたようです。そうした移住者を主人公にすることで、ジョージアの地政学的な複雑さを強調しているものと思われます。
原題の「მანდარინები」は直訳するとタンジェリンですが、植物学的にはマンダリンと同一分類で、ざっくり言って「みかん」のこと。黒海に面したアブハジアは、温暖な気候を利用してみかんの栽培が盛んなのだそうです。さらに、お茶の栽培も盛んで、静岡と似た気候だとも言われます。また、和歌山県からみかんの苗木が送られたりもしているとか。でも、日本人の多くはアブハジアのことは知らないし、そこでみかん農家の人たちが紛争に巻き込まれて苦しんだことも知らないでしょう。私たちはもっともっと世界のことを知るべき、と思います。平和のために。
最後にもうひとつ。映像を観ていると、兵士の装備やイヴォたちの質素な暮らしぶりから第二次世界大戦直後くらいのことかのように思ってしまいますが、この映画で描かれているアブハジア紛争が始まったのは1992年。日本はバブル経済が崩壊した直後の憂鬱な時代。わずか24年前のことなんですよね。
日本で暮らしていると、戦争や紛争をリアルに感じることはありませんが、アブハジアではつい24年前にこんな悲しい出来事が起こっていたのです。そして、世界にはいまも紛争状態の地域があって、普通の人々が苦しめられています。そうした現実を忘れないでほしいという願いが、この映画には込められているように思います。世界中の人が穏やかな気持ちで食卓を囲めるように。
同時上映の「とうもろこしの島」も、同じ時代のアブハジアの農民の暮らしを描いた作品です。こちらも紛争の危機に晒されながら懸命に生きる普通の人々の姿が胸に刺さります。黒澤明監督作品のような地味ながら味わいのある名作です。
■監督:ザザ・ウルシャゼ
出演:レムビット・ウルフサク、エルモ・ニュガネン、ギオルギ・ナカシゼ、ミヘイル・メスヒ、ライヴォ・トラス
製作:2013年 エストニア・ジョージア合作 87分
後援:駐日エストニア大使館、在日ジョージア大使館
配給:ハーク
■同時上映「とうもろこしの島」
監督:ギオルギ・オヴァシュヴィリ
出演:イリアス・サルマン、マリアム・ブトゥリシュヴィリ、イラクリ・サムシア、タマル・レヴェント
製作:2014年 ジョージア・ドイツ・フランス・チェコ・カザフスタン・ハンガリー合作 100分
後援:在日ジョージア大使館
配給:ハーク