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<映画紹介>
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『92歳のパリジェンヌ』 『92歳のパリジェンヌ』は、92歳になったおばあちゃん、マドレーヌが家族が集まったお誕生日会の席で、「いい人生だったわ。だから、私は2か月後に旅立つことにします」とセンセーショナルな宣言をすることから物語が始まります。何よりも「自分」にこだわるフランス人らしい発想なのでしょう、マドレーヌは老いても人としての尊厳を持って生きたい。それができなくなったら、生きていたくはないと考えていました。そんな気持ちに共感する人も多いかもしれませんが、自分の親がそう望んだとしたらどうでしょう。マドレーヌの息子と娘も、大いに戸惑います。 歳を取ってはいても、一人暮らしをして、自分で車を運転して買い物に行くマドレーヌ。でも、少しずつ、昨日まで普通に出来ていたことが出来なくなります。自信があった車の運転もモタモタするようになり、アパルトマンの階段を上がるのもつらくなって、物忘れをすることも増えてきました。そうして日々衰えていく自分を客観的に観察し、自分らしさを失ってまで生きていたくはないと、自ら期限を決めて終活を始めるのでした。 この映画には、じつはもとになった話があります。元フランス首相のリオネル・ジョスパンの母親の最期を書いた小説がベースになっています。書いたのは、元首相の妹であり作家であるノエル・シャトレ。映画でも、マドレーヌの娘が主人公として描かれています。母親の気持ちを尊重しながらも、娘が、家族が、老いた母親の最後の望みをどのように受け止めるか。それがこの作品のテーマです。 女性として、母の気持ちはわかる。でも、娘としては母親にはまだ長生きしてほしい。人は誰でもいつかは死ぬと理解しているし、母親の様子を見ていて実際に老化が進んでいることも知っている。でも、まだそれほど深刻な状況ではないのではないか。そんなに急がずともいいのではないか。結論を出せぬまま悩み続けます。 そんなある日、マドレーヌがアパルトマンで倒れて入院します。娘のディアーヌがお見舞いに行くと、マドレーヌが言いました。「病院のベッドで死ぬなんてごめんだわ」。その言葉を聞いて、ディアーヌの気持ちは母親の尊厳死を支持する方へと傾きます。そして、ふたりは病院を抜け出し、「太りそうなものが食べたいわね」というマドレーヌの言葉で、奮発してキャビアを買い込み、理解し合えたことを祝って乾杯します。死ぬと決まれば、今さらダイエットも必要ないし、美味しいものを食べたい。人間らしい素直な欲求が、ふたりを和ませます。 いよいよとなったとき、母と娘が最後の食事に選んだのは、山盛りのカキとシャンパンでした。いつでも信念を貫いて生きて来たマドレーヌは、死を目前にしても動じることなく、好物のカキを頬張ります。しかし、冒頭の誕生日会のシーンも含め、106分の映画に全部で4回も食べるシーンを入れるとは。監督は、好きなものを食べるのも、人として生きることに欠かせない重要な要件のひとつだ、と言いたかったのでしょう。 マドレーヌが病院で死ぬことを拒否したのは、病院のまずい食事で人生を追えるなんて嫌、ましてや衰弱して食べられなくなって点滴だけで行かされた挙句に死ぬなんて味気なさすぎる、と考えていたからなのかもしれません。 自身の命を絶つことがいいかどうかは、人それぞれに様々な考えがあるはず。でも、そうした自分で決めた尊厳死に限らす、死はいつ訪れるかわかりません。贅沢三昧をせずとも、いつの食事もそれが最後の食事となったとしても、思い残すことがないよう、しっかり味わっておかないといけないですね。料理を作るなら、自分だけでなく、一緒にその料理を食べる人にとっても最後になっても悔やまないよう、心を込めて作らないと・・・。 あなたは最後に何を食べたいですか?
原題:La derniere lecon text/キヌガサマサヨシ(夏休み計画)
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