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<映画紹介>
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『LION/ライオン ~25年目のただいま~』
主人公である少年、サルーはインドの貧しい村で生まれ育ちました。母子家庭で、母親は採石場で石を運ぶ仕事をしていますが、暮らしはギリギリ。子どもたちはいつもお腹を空かせていて、サルーは兄と一緒に石炭列車から石炭をくすねて売り、幼い妹のためにミルクを買います。美味しそうな揚げ菓子を売る露店を見かけても、貧乏なので我慢するしかありませんでした。 そんなサルーは、ふとしたことから駅に停まっていた回送列車に乗って閉じ込められてしまいます。列車はサルーを乗せたまま2日間も走り続け、やっと逃げ出せたのは遠くの大きな街でした。見知らぬ都会で迷子になり、家に帰りたいと助けを求めますが、その街ではサルーの言葉が通じないという最悪の状況に・・・。 インドの公用語はヒンディー語ですが、現実には地方によって様々な言語が使われています。ルピー紙幣には15の言語が表記されていて、政府が自国の言語として認めているものだけでも22種類もあります。そのため、遠く離れた地域に行くと、別の国のようにまったく言葉が通じないことがあるのだとか。沖縄でおばあ同士がうちなーぐちで話しているのを聞いてもさっぱりわからない、というのと同じ状況ですね。しかも、当時のインドでは公用語を知らない人もたくさんいました。サルーが育った地域は辺境の田舎でありながらヒンディー語を使っていたのに、到着したコルカタの大きな街ではベンガル語が使われていて、公用語であるヒンディー語が通じないという皮肉。サルーは不運にも、そんなインドあるあるにはまってしまったのでした。 そのときのサルーの年齢はわずか5歳。自分の村の名前も正確には覚えていなかったため、どこから来たかもわからず、孤児として施設に収容されます。母親は捜索願いを出していたでしょうが、その時代の警察は役立たずだったんでしょうね。同じ国の中でも言葉が通じないということも、大きな障害であったのかもしれません。その後、サルーは人権団体によってオーストラリア人夫婦との養子縁組が進められ、インドからタスマニアに渡って大切に育てられ、立派な青年に成長しました。 そしてある日、友人宅のホーム・パーティで懐かしい菓子と出会います。それは熱した油の中にゆるく溶いた生地を紐のように細く垂らして揚げ、甘いシロップを染み込ませたもの。目にした瞬間に、かつて見た光景が脳裏にフラッシュバックします。子どもの頃、食べたいとねだっても貧しくて買ってもらえなかった思い出の菓子でした。 じつは、残念ながら菓子についての詳しい話は、映画の中には登場しません。が、それはイマルティではないかと思われます。似たもので、イマルティよりもはるかにポピュラーで、インド全域とパキスタンやネパール、バングラディシュ、スリランカ、さらにイランやイラク、北アフリカでも食べられているジャレビという菓子がありますが、スクリーンに映し出される菓子の色合いがかなり赤みがかっていることから、イマルティである可能性が高い気がします。ジャレビは小麦粉が主原料ですが、イマルティはレンズ豆の粉を使い、サフランで色を、カルダモンで香りをつけます。この菓子のスチール画像はありませんが、予告編の動画に登場しますのでご覧ください。 このイマルティは、インドの中でも一部の地域で食べられているものです。その地域は主にインド北部と言われていますが、サルーが生まれ育った中部地方のカンドワでも、食べられていたのかもしれません。そのあたりが映画ではさらっとスルーされてしまっているのですが、この菓子がイマルティであり、カンドワにもイマルティがあったとしたら、実際にサルーが故郷を特定する際には、大きな手がかりであったはずです。 優しい養父母に育てられ、オーストラリア人のように生きてきて、ずっと思い出すこともなかった幼少期のことを、素朴な菓子が思い出させたのでした。自分はインドの田舎の村で生まれ育ったのだ、そこには家族もいたのだと記憶が蘇り、望郷の念にかられます。しかし、同時にすでに20年以上も過ぎていて大きな戸惑いも感じます。 サルーは激しく悩みながらも、薄らいだ記憶を頼りに列車の速度や移動した時間から目安をつけ、Google Earthを駆使して生まれ故郷を探し出します。生まれ育った村は、保護されたカルコタから1,600kmも離れたところにありました。それは東京から上海より少し近くて、東京から沖縄よりもちょっと遠いという距離。5歳の子どもには、あまりにも遠い距離でした。 帰郷が実現したのは、25年後の2012年のこと。迷子になった1987年は、パソコンはおろか普通の人が持てる携帯電話もない時代で、世界中の衛星画像を誰もが自由に見られるようになるなんて、想像もできませんでした。25年の間に起こった様々なデジタル技術の革新があっての奇跡です。 でも、その奇跡のきっかけとなったのは、超アナログで質素な菓子でした。そう思うと、何を食べるか、家族に何を食べさせるかは、じつはとても重要なことと感じられます。今日食べたものが数十年後に人生を左右するかどうかはわかりませんが、料理や菓子が消えない記憶となることはあるんですよね。それが美味しいもので、楽しい記憶であったなら、その人の人生は幸せだったと言えるのでしょう。 ちなみに、においが記憶を蘇らせることは医学的に明らかになっていて、プルースト効果と呼ばれています。痴呆症の治療に役立てるための研究が進められているとか。大好きな食べ物のにおいで脳が活性化されるとしたら、楽しいですね。 タイトルにも書かれているので、サルーが故郷の村に帰って母親と再会できることは、はじめからわかってはいるのですが、あまりにも壮絶な経験を描いているので、無事に再会できたときには、がっちり感情移入して泣かされていしまいます。心の洗濯におすすめです。
原題:Lion text/キヌガサマサヨシ(夏休み計画) |