| ||
<映画紹介>
|
『サーミの血』 サーミをご存知でしょうか。残念ながら、料理や食べ物の名前ではありません。サーミとは、北欧のスカンジナビア半島の最北端で暮らす先住民族や、彼らが住む地域を示します。サーミ人は北極圏のラップランドと呼ばれる地域で、トナカイの放牧や狩猟、漁業などをして伝統的な生活を続けてきました。 サーミの人々は手先が器用で、昔から優れた手工芸品を作ってきました。木をくり抜いて作ったマグカップを目にしたことがある方もいるかと思いますが、これはククサと呼ばれ、サーミの人々が生まれてくる子どもの幸せを祈って、白樺のコブを削って作っていたものです。かつては、生まれた子どもはそのククサで離乳食を食べ、死ぬまでそのククサを使い続けたそうです。 彼らの民族衣装であるコルトは、美しい刺しゅうを施したテープで飾られていますし、錫の糸を使った刺しゅうの小物も有名です。スウェーデンで見つかった最古の錫糸は紀元前1000年頃のものであり、錫糸を使う文化はサーミ固有のものであるため、サーミ人はその時代よりはるか以前から極北の地で暮らしていたのだろうと言われています。 映画『サーミの血』は、そんなサーミ人の少女を主人公にした物語です。監督のアマンダ・シェーネルはサーミの血を引くスウェーデン人で、主人公である少女のエレ・マリャとその妹役の少女は、実際にトナカイの放牧をして暮らすサーミ人の本当の姉妹です。 監督の親や祖父母の世代、それ以前のサーミ人が受けた差別が、この映画のテーマです。サーミ人が暮らす土地に後からヨーロッパの人々がやって来て、彼らの森を勝手な政治的な都合で分断しました。そのため、サーミ人は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアに切り離されて支配されました。 映画の舞台となっているスウェーデンでは、サーミ人は差別的な分離政策によって長年迫害されていました。サーミ人の子どもたちは放牧をする親元から引き離され、サーミ人用の寄宿学校に強制的に入れられて、スウェーデン人としての教育を受けさせられました。しかし、当時はサーミ人は知能の低い劣等人種とされていたため、学校で行われていたのはスウェーデン語やスウェーデンの価値観を押し付けるだけのお粗末な教育でした。もともと彼らが受け継いできた精霊信仰は悪とされ、キリスト教を信仰させられました。サーミ人が伝統的に歌ってきた独特なメロディの唱歌・ヨイクも、シャーマニズム的であると禁じられました。学校でサーミ語を使うと罰せられ、珍しい動物を扱うように身体的な特徴を計測されたり記録写真を撮られたりもしました。 利発なエレ・マリャが進学したいと言うと、教師は彼女に「サーミ人は進学できない」と告げます。「あなたたちの脳は文明に適応できない」という教師の言葉は、当時のサーミ人に対する差別を象徴しています。すらりと背が高くて手足が長く、金髪で、青い目で、色白で、彫の深い顔立ちのスウェーデン人にとって、ずんぐりむっくりした体形で黒い瞳のサーミ人は、進化途上の劣った人種に見えたのでしょう。寄宿学校の周辺で暮らすスウェーデン人の若者たちにも、汚い、くさいと屈辱的な言葉で罵られます。 エレ・マリャはそうした理不尽な差別に嫌気がさし、それまで大切に守ってきたサーミ人の暮らしや文化まで嫌うようになりました。そして差別から抜け出すために、寄宿学校を脱走します。名前を変え、サーミ人であることを偽ってスウェーデン人として生きていくことを決意するのでした。 実際、当時はそのようにサーミ人の名前を捨ててスウェーデン人になった人が多くいたのだとか。現在でも戸籍制度がないスウェーデンでは、1930年代にはそんなことも簡単にできたのでしょう。差別から逃れるために自らの民族としてのアイデンティティを捨てる人がいた一方で、サーミの伝統的にこだわって差別に堪えて暮らした人々もいて、同じサーミ人同士の中にも確執が生じ、苦しみがさらに苦しみを生みました。この映画は、そうしたサーミ人の悲しい歴史が忘れ去られることがないようにと作られました。 ニキズキッチンを見ていていいなと思うのは、元大使館のシェフが教える高級レストランのような料理も、アジアのストリートフードも、優劣なく同じステージに置かれていること。「おいしい」という直感的な感動の前では、国や民族や宗教の違いなんてナンセンスですから。よく知らない国でも、料理がおいしかったら親近感を感じますよね。おいしい料理には、心を開かせる力があります。相手を理解するための一歩となり、相手をリスペクトする気持ちを育みます。これは大統領や首相の政治理念を聞くよりも、ダイレクトに心に刺さります。そういった意味で、ニキズキッチンは世界平和に大いに貢献している言えるでしょう。 ちなみに、この映画にも印象的な食べるシーンが登場します。寄宿学校を脱走したエレ・マリャが、パーティで出会った青年と食事をする場面です。エレ・マリャが青年のコーヒーにチーズを入れようとすると、彼は気味悪がってドン引きします。「おいしいんだから。食べてみて」「えー、あー、いやいや、僕は遠慮しとこうかな」みたいな会話になります。 バター茶を飲んでいるモンゴルでも、お茶にチーズを入れることがあります。サーミの食文化とよく似ていますよね。放牧をしていて乳製品が身近であるという共通点もありますが、寒冷地では寒さに耐えるために自然と体がチーズやバターを求めるのでしょう。 通常、カハヴィ・ユーストで使うのは、レイパユーストという特殊なチーズだと言われています。温めたミルクにレンネットという凝固剤を加え、水分を絞って固め、平たくのばして焼いたもの。そのまま食べるとムギュっとゴムのような食感らしいのですが、コーヒーに入れるととろけておいしくなるのだとか。市販品は牛乳で作ったものが多いようですが、サーミではトナカイのミルクを使って作るそうです。 しかし、映画の中でエレ・マリャがコーヒーに入れるのは、レイパユーストではありません。スウェーデン人の青年の実家の食卓に並べられているのは、映像から察するに、小さな穴がポツポツと開いていることから、スウェーデン人がチーズの王様と称賛するヴェステルボッテン・チーズであろう思われます。サーミとスウェーデンではチーズも違い、その食べ方も違う。スウェーデン人の暮らしに憧れていながらも、無意識に出てしまう風習をエレ・マリャに染みついた民族のさがとして表現しているのでしょう。
エレ・マリャがカハヴィ・ユーストをすすめたとき、スウェーデン人の青年が保守的な対応をせずに、興味を持って口にしていたら、そしてそれをおいしいと感じて親や周囲の人に勧めていたら、サーミ人への差別はもっと早くに撤廃されていたかもしれません。 サーミ人への迫害や差別が見直されたのは、1980年代になってのこと。今は重要な観光資源としてサーミの文化も保護されています。世界遺産に登録されたヨックモックの村では、毎年、サーミの職人が作った手工芸品を集めたウインターマーケットというイベントが開催され、世界中から多くの観光客が訪れています。 ストーリーは悲しく切ないですが、主役を演じたサーミ人の女の子の演技は、深い感動を与えてくれるはずです。くしくもミヤンマーでのロヒンギャ族に対する迫害が報道されている今、世界中から迫害や差別やいじめがなくなるよう、ぜひ多くの人に観てもらいたい作品です。愛ある料理は地球を救う! text/キヌガサマサヨシ(夏休み計画)
|