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第二回 根岸でシナボン その2 |
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いつもは、2〜3人の生徒さんにゆっくり教えるというリンダのキッチンスクール。今日は5人もいるので先生は大忙しだ。全員分の材料をチェックして、道具を揃え、おまけに飲み物までサービスしてくれる。アップル、オレンジ、ミント、グリーン……カラフルなティーバッグに入った、いろんな種類のお茶が、アメリカを感じさせる。リンダ先生が慌ただしく働く横で、主婦五人組はしばしお茶を飲みながらご歓談。
それにしても、さすがにアメリカンサイズのキッチン。この人数でもなんとか全員調理台に向かって作業スペースを確保できるなんて、羨ましい限りだね……なんてことを、またひとしきりしゃべりあう。
シナボンの生地は、パン生地を作る要領で発酵させたものだ。パンどころかドーナッツも作ったことのないナカキタにとって、ふわふわで弾力のある生地は、なかなか扱いにくくて悪戦苦闘。ギューッと力を入れて伸すと反動で縮んでしまうし、厚さも均等にならない。あ、そうか。少しずつ小刻みにローラーを動かして、だましながら、おだてながら、が正解なんだ。「なんかさ、子どものしつけみたいじゃない?」 押しつけると、萎縮していびつになってしまうから、ゆっくり少しずつ、「ほら、ここまで伸びたじゃない。じゃあ、もうちょっと伸してみようか」……なんてね。そう思うと、この発酵させたシナボン生地、ちょっと可愛いかも。「ナカキタさん、何ぶつぶつ言ってるの?」 はっ? そう言えば、子どもたちはどうしてるんだろう。なんか嫌な予感がする。ようやく四角くまとまった生地を置いて様子を見に行ってみる。 4歳児軍団は、アレックスに引率されて、二階にあるキガンのお部屋を探索していた。そこは、いかにもアメリカの子ども部屋。一歳のキガンのために用意された、カラフルな玩具で埋め尽くされている。 この部屋に入った途端、何ともいえず切ない感情が胸にわき起こってきたのは、なぜだろう? ずっと子供の頃、自分の部屋がこんなだったらいいのにと、夢見たとおりの子ども部屋だ。くるみ割り人形やピーターパンの子ども部屋だ(あれってアメリカじゃなくて、ドイツとかイギリスじゃなかったっけ? という疑問はひとまず置いておこう)。 アメリカンライフに対する幻想なんて、自分の中ではとっくになくなっているはずなのに、実物を目にすると、やっぱりなんだかほろ酸っぱい。一度も自分のものになったことなどないのに、ものすごく懐かしい。 なーんて、感傷に浸ったのは一瞬のこと。そこで繰り広げられていた、お子さまたちの狼藉に、母は度肝を抜かれた。 玩具散乱。阿鼻叫喚。キガン呆然。 やるだろうとは思っていたが、ここまでやるとは……。そして、それをニコニコ笑って見ているアレックス、あなたはエライ! 恐縮しながらも、キッチンへ戻ってシナボンの続きだ。伸した生地の上に、シナモンとブラウンシュガーを載せて、これを端からロールしていく。この時に使う砂糖の量 がハンパじゃない。日本人主婦たちが、日本人らしい慎ましさで、スプーンですくったシュガーをパラパラと振りかけていたら、リンダ先生は、「NO,NO」と、アメリカ人らしく豪快に笑いながら、アメリカ人らしい大胆さで、生地が見えなくなるくらいブラウンシュガーをぶちまけた。やるだろうとは思っていたが、ここまでやるとは……。戦争で負けるわけだ、とお祖父ちゃんなら言うだろう。 ロール状にまとまった生地を、凧糸で(アメリカでも凧糸っていうのかな?) 、 3〜4センチ の大きさに切っていく。糸を使うと、ナイフで切るより断面 がきれいになるのだそうだ。それを天板に並べ、例の大きなオーブンに入れて、180度の温度で、きれいな焦げ色がつくまで焼く。 1、2分もすると、キッチンにシナモンとバターと砂糖の焼ける、甘い匂いが充満してきた。この間に、上にトッピングするシロップを作っておく。フィラデルフィアクリームチーズ1箱分と、同量 のバターをボールの中で混ぜ合わせる。最初にバターを電動泡立て器で撹拌して、そこにチーズを加える。白っぽくなってから、砂糖をドサッと(ああ、まただ)加えて、ツヤが出るまでよーく混ぜる。しばらくすると、甘い甘いチーズバタークリームのできあがり!。 焼き上がりは上々。熱々を口にすると、砂糖の焦げたカリカリ感と、生地のフワッ、サクッという歯触りが、やがて口の中を甘く満たす。そして、少し遅れてシナモンの香りが、鼻を抜けていく。ナカキタ的には、何もかけなくてもこれで充分。でも、リンダは、さっき作ったシロップを「たっぷり」とかけるのがアメリカ流だと主張する。やってみた。案の定だった。「うん、甘いね、ものすごぉーく」これこそ、まさに私がサンフランシスコで毎朝食べた、アメリカの味。……それにしても、こんなにたくさんシロップ作っちゃって、どうするんだ? 匂いにつられて、いつの間にか外で遊んでいた子どもたちも帰ってきた。できたてのシナボンの味は、すっかり彼らの心をとらえたみたいだった。 すべての記憶の中で、「匂い」は一番最後まで残るのだという話を聞いたことがある。だったら、この子たちが大きくなっても、今日食べたシナボンの香りは、記憶のどこかに残っているのだろうか。そして、いつかどこかでシナモンの焼ける匂いを嗅いだとき、突然、芝生で囲まれたアメリカンハウスや、玩具であふれた子ども部屋、やさしいアメリカ海軍のおじさんの顔などを、ふっと思い出すのだ。「そういえば、昔、根岸でシナボンを食べたことがあった」って。 (完) ▼第3回へ |
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エッセイストの紹介 | ||||||
中北久美子 ナカキタクミコ | ||||||
(プロフィール) 中北久美子 ナカキタクミコ 名古屋の情報雑誌月刊「KELLY」編集から編集 デスクを経てフリーに。以後、雑誌・広告・社内報・官公庁の出版物・ゴース ト・ ラジオの構成などで企画・取材・執筆を担当。結婚後、神戸、金沢、富山と拠 点を 移しながらその土地の取材物を中心にライターを継続。今後は、女性のライフ スタ イルに関する記事を書いていきたいと考えている。 現在、横浜在住。好きなものは温泉、お散歩、お茶、古い建物、犬、60年代 のR &B、70年代のブリティッシュロック、80年代のスィートレゲエ、「館」のつ く場 所(水族館・博物館etc・・・)、浮世絵、特撮ヒーロー、伝奇小説、南の海、そ して一 人息子とのおしゃべり、などなど。 「よみたい!ネット」に「横浜お散歩マニア」連載中 http://www.yomitai.net/ |