本牧のバス停まで、ルス先生が迎えに来てくれた。お会いするのは2度目。歳は聞いていないけど、根岸の若い先生たちに比べたら、ずっと先輩のベテラン主婦といったかんじ。落ち着いた雰囲気を持つ、物静かな女性だ。
もう一人、ここで待ち合わせていた生徒さんは、サユリさんと名乗った。地元 ・本牧にご主人と二人で住む新婚さん。今回初めての参加なのだそうだ。
さて、ルス先生の案内で、バス停から歩いて約5分、瀟洒なアパートメントに到着した。ご主人のオヘイニヨ氏がにっこりと迎えてくれた。ちょっと太めの愛嬌ある体躯、優しげで笑顔の温かい、素敵なラティーノ。挨拶を交わすうちに、なぜか「パパ」と呼びたくなってしまった。よって以下、パパ。
パパはスウェーデンに母体を置くIT機器メーカーにお勤めのエンジニア。出身はコロンビアだけれど、世界中から人材の集まる多国籍企業に勤める、いわばインターナショナルな転勤族だそうだ。ここは、同じような境遇の家族が住んでいる、外国人専用のアパートメントなのだ。
天井の高い、いかにも外国サイズのリビング。大画面のモニターには、スペイン語版CNNがかかっていた。そう、ここのお宅ではスペイン語が母国語なのだ。
ところで、普通の日本人に「コロンビアというと、何を連想する?」と聞いたら、どういう答えが返ってくるだろう?
ナカキタの場合、コーヒー、サッカー、サルサ、それにゲリラや誘拐、だろうか。あまりに断片的で、失礼なほどに表面 的だ。地図で場所を見ると、コロンビア共和国は南米大陸の北端、カリブ海と太平洋に面
した、日本のほとんど裏側にある国だ。
そんな、「遠くて、本当に遠い国」から、はるばる横浜へやって来たルス先生の家庭料理。今日のメインディッシュ、「ムジカ」は、伝統的コロンビア料理ではなく、トルコとかギリシアあたりの地中海料理なのだそうだ。パスタの代わりにナスを使った、ラザニアのような料理、と言えばわかりやすいだろうか。
地中海の料理が南米でも作られ、それがこうして地球の裏側の日本にまで伝わるなんて、なんだかワクワクする。
少し遅れて、今日のもう一人の生徒さん、タカコさんも到着した。アメリカ留学経験を持つ、英語堪能な女性だ。前に一度、この教室に出たことがあるそうで、場馴れした様子。ルス先生やパパと親しげに談笑している。空気がなごんだところで、エプロンをつけて、キッチンへ。
BGMはパパ選曲による、サルサのインストゥルメンタル。粘っこい旋律と複雑なリズムに、乾いたホーンが絡んで、たちまち気分はカリビアン。なんとルス先生は、いきなりゆるくステップを踏みはじめたではないか。
「コロンビアでは、踊りながら料理するのよ」。
陽気なラティーナというよりは、物静かで落ち着いた印象の彼女だけど、ちょっとステップ踏んだだけで、腰にリズムをためる独特の踊り方は、さすがにラテンの血! 日本人には真似できません。だけど、こんなノリでキッチンに立ったら、毎日の家事だってもっと楽しめそう。
というわけで、本日のメニューは、ムジカにパプリカサラダ、そしてマシュマロを使ったデザート。ルス先生に従って、早速手分けして作業開始だ (分量
は文 末のレシピ参照)。
まず、ナスを輪切りにして塩水にさらしてよくなじませる。タカコさんが、大量 のナスを手際よく切っていく。普通ならこれを油で揚げるところ、粉を振って
、220度のオーブンで10分ほど焼くのがルス流だ。なるほど、その方がずっとヘルシーだし、ダイエットにもいい。
次いで、長ネギとピーマンもみじん切りにして、ひまわり油でいため、ニンニク、オレガノ、トマトの缶 詰、塩を加える。ふつふつとおいしそうな香りを漂わせながら、トマトが煮詰まっていく。タマネギではなく、長ネギというのもミソ。
別の鍋で、挽肉をよく炒め、タイムを振っておく。しっかり油がとおったら、先のネギ、ピーマンの鍋に加え、一煮立ちさせ、水分をとばす。これでミートソースはできあがり。
並行して、別の鍋でホワイトソースを作る。これはナカキタ担当。バターと小麦粉をよく炒め、ブイヨンソースを加えて馴染ませた後、牛乳、ナツメグ、塩を加えて、焦げないように弱火でかき混ぜて仕上げる。
ルス先生は、生クリームソースを作っている。これは、卵、牛乳、生クリーム に塩、コショウで味を調えたもので、最後に上からかけるのだそうだ。
そうしている間に、オーブンの中ではナスがこんがりと焼き上がった。
大ぶりのラザニア皿に油をまんべんなくひいて、ナス、ミートソース、ホワイトソース、チーズの順に重ねていき、それを三回繰り返す。最後に、生クリームソースをかけて、オーブンに入れたら、あとは焼き上がりを待つばかり。
パプリカサラダの下準備はサユリさんが担当。ナスを取り出したオーブンに、赤・黄・緑・橙と色とりどりのパプリカを、丸ごと入れる。火が通 ったら取り出
して、さっと水をかけてから、表面の薄皮を剥く。これが意外と手強くて、特に緑のピーマンは皮が薄すぎるので、途中で剥くのを断念。これらを全部、千切りにしておく。
次に、サラダのドレッシングを作る。パセリのみじん切り、大粒のケッパー、ソース、オリーブの粒を混ぜる。
ところで、このソース。パッケージを見たら、「Worcestershire Sauce」と書 いてあった。色は醤油のように黒い。こんなソース、日本で売ってるのかしら?
と思っていたら、何のことはない、「ウスターソース」のことだった。なーん だ。
わかっているようで案外知らない、材料の英語名。ちなみに醤油のことは、「soi sauce(ソイ・ソース)」という。知ってたらゴメン。
パプリカに、ドレッシングをかけて、冷蔵庫でねかす。
最後に、マシュマロを使ったデザートにかかる。これは簡単だ。卵白に砂糖を 混ぜて泡だて、桃の缶詰、サクランボの缶詰、マシュマロとコンデンスミルク、
クリームを加えて、冷蔵庫で冷やすだけ。
日本でマシュマロといえば、子どもの おやつのイメージが強いけど、こうして少し手を加えれば、リッチなテイストの デザートになるのだ。なるほど! これは使える。
えっ? 何にって……子ども のおやつに。
さて、あとはオーブンのムジカが焼き上がるのを待つばかり。テーブルの準備 も調ったところで、コーヒーをいただいてちょっと一息。もちろん、強めに立て
た本場のコロンビアコーヒーだ。
と、そこへ玄関にチャイムの音。
同じアパートに住む奥様たち三人が様子を見に訪れたのだ。
三人のご主人はみな、パパと同じ多国籍企業にお勤めで、それぞれ母国はシリ ア、パキスタン、イランだと自己紹介した。
なんと今、世界で一番ホットな国々からのお客様ではないか! 今夜、ルス先 生は彼女たちと家族を招いて、ホームパーティを開くのだそうだ。政治とか宗教
とか文化とか、微妙な問題も多いだろうに、どんなパーティになるんだろう。
だけどルス先生と、三人のマダムの間に流れる空気はとても親密で、しかも、国籍を超えて、みなどこか似た雰囲気を持っているように思えた。それはおそらく、多国籍企業に勤める夫を持つ妻であることと無関係ではないだろうし、また、それぞれ母国では裕福層に属しているという共通
点のせいかもしれない。
いや、それ以上に、彼女たちはみな遠い国から、夫についてここ横浜にやって来て、外国人として生活している。そういう境遇の中から生まれる連帯感とか、助け合いの日常が、自然とこのような親密さを作り出しているのかもしれない。
そういうナカキタも転勤族の妻だ。国内限定ではあるけれど、何年かごとにまったく知らない土地に放り込まれ、そこでなんとかやってこられたのは、やっぱり同じ境遇の人たちと助け合ってきたからだ。自分がこれまで住んできたいくつかの社宅を思いだし、ふと親近感を感じてしまった。
自分の選択ではない異国での暮らしというのは、どんなものなのだろう?
政治や宗教などに表れる違いよりも、個人としての共通点について、機会があ ったら彼女たちに聞いてみたい気がする。
ひとしきりおしゃべりして、三人のマダムは帰っていった。いよいよ、試食タイムだ。パパも加わって五人で「いただきまーす!」
ムジカは、予想していたとおり、ラザニア風の味だ。ただ食感は、パスタのシコシコした歯触りとは正反対で、トロリと口溶けのよい舌触り。三種類のソースとゴーダチーズが、ナスを介して完全に混ざり合って一つの味を作り上げている。ラザニアが個の主張だとしたら、ムジカは融合。
……なんか難しいぞ。ひとことで言えば、「あ、おいしい」だ。
思ったほど油っぽくないのは、ナスを揚げずにオーブンで焼いたためと、材料を炒めるとき、ひまわり油を使ったためだろう。
箸休めにパプリカをはさむと、素材の甘みが引き立つ、さっぱりした味付け。マシュマロデザートも甘すぎず上品な味だ。コーヒーと一緒にいただくと、ぴったりはまる。
ルス先生の料理は、全体に「ほど良さ」と「調和」に包まれていて、「ラテン的なもの」に対して、どちらかというと「過剰さ」をイメージしていたナカキタには、少しばかり意外だった。それは、ラテンアメリカのもう一つの顔かもしれないし、また、ルス先生個人の味なのかもしれない。
もっといろんな料理を教えてもらいたいと思った。今度は、海の幸を使ったホットなコロンビアの料理もぜひ。
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本日のレシピ
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◆ムジカ (MUZAKA)
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材料 ナス1kg 挽肉500g モッツァレラとゴーダチーズ 合わせて300g トマトの缶詰 1缶 牛乳1カップ 小麦粉大さじ2 生クリーム1/2カップ
塩、コショウ、ニンニク、オレガノ、タイム各適宜.
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◆パプリカサラダ(PAPRICA SALAD)
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材料:色の違う大きいパプリカ3コ オリーブオイル1/4カップ パセリ大さじ2 ケッパー大さじ2
ソース、塩、コショウ各適宜
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