ちわー、ナカキタです。 ずっと前、たぶん去年のことになると思うけど、この場を借りてブドウの葉っぱを提供してくれる人を募集したの、覚えてる? 現れました、ご親切な方が。
その農園は、九州の天草にあります。日本ではとても珍しい完全無農薬のブドウを栽培しています。いつもなら捨ててしまう葉っぱを使いたがっているシリア人がいると聞いて、「お役に立てるのなら」と、送ってくださったのです。実は、ここへいたるまでには、Nikiの涙ぐましい奮闘があったのですが、その話はまた後日。とにかく、農薬も化学肥料も使っていない、まっさらなブドウの葉っぱが、五月のある日、ミルナの手元に届いたのです。
ミルナは、早速到着したブドウの葉を茹でてから、冷凍しておきました。こうすれば、少しずつ大切に使うことができます。 シリアでは普通に使われている食材が、日本ではまったく手に入らないということが多く、本場のシリア家庭料理を教えたいと思っているミルナ先生は、いつも頭を悩ませています。だから、こんなふうに善意で協力してくださる人がいると、本当にありがたいです。
もちろん、シリアのおもてなし料理を習うことが出来た生徒さんも、それをこうしてお伝えできるナカキタも、そしてNikiも、とても喜んでいます。 日本で、ブドウの葉っぱは入手困難なので、今回登場する料理を、ご家庭でそのまま作ることは難しいかもしれません。だけど、中身に使う挽肉のフィリングはオールマイティ。いろんなもので包み、ヨーグルトソースを添えて、ちょっぴりシリア風、を楽しんでみてはいかがでしょう。
中東シリアの、ブドウの葉っぱのパーティ料理
Nikiからメールが届いた。 「ようやくブドウの葉っぱが手に入ったので、ミルナの家に来ませんか?」
前回、ミルナのお料理を体験してからもう 2ヶ月にもなる。その時、彼女は、シリア料理の食材がなかなか日本で手に入らないことを嘆いて、特にブドウの葉っぱを渇望していた。それは、本当に「渇望」という表現がぴったりくるくらい、ブドウの葉を使った料理を懐かしんでいた。
なんかね、たとえば私たちだって、ほんの何週間か海外旅行に出かけて戻ってきたとたん、カツオだしのきいたネギうどんがひどく恋しくて、空港の立ち食いうどんに飛び込む、なんてことあるでしょ? いや、ナカキタはあるんだ。ロンドンに住んでいる友達は、日本の五倍の価格の梅干しを、大切に大切に、愛おしむようにちょっとずつ食べているって言っていた。
ミルナにとっての日本は、友人にとってのロンドンよりもずっとずっと、母国から遠く離れた最果 ての土地だ。だって、ここにはシリアでは当たり前に手に入る、ブドウの葉っぱすらないんだもの。ようやく、とある高級輸入食材店で見つけた、わずか数十枚のブドウの葉は、シリアの百倍の値段で売られていたそうだ。一瞬迷ったけど、さすがにあきらめた。
まあ、さっきのうどんの例で言えば、いくら懐かしいからって、七万円のネギうどんを食べるか、という問題だ。それでも一瞬、迷ったのだ。 そうまで恋しいブドウの葉っぱ。ようやく手に入った貴重な食材を使って、ミルナはどんなシリアの味を教えてくれるのだろう。
ブドウの葉っぱは、小さいもので手のひらサイズ、大きいもので子供用グローブぐらいある。ミルナがあらかじめ塩湯でしておいたので、独特の鮮やかな緑は、しんなりとした深緑に色を変えていた。
まずはフィリングをつくる。 挽肉に米を混ぜ合わせ、いろんな香辛料を加える。中近東の料理は、どれも香辛料を絶妙に組み合わせて、独特の香りを生み出す。ミルナ先生のキッチンも、棚を開けるとズラリと香辛料の瓶が並んでいた。
それ以上に、日本の料理では考えられないのが、米の使い方だ。洗い上げたそのままのものを、直接挽肉と混ぜ合わせる。日本の普通 の米を使っているけど、明らかに主食ではないよなあ、この扱い。
材料をよくこねて、フィリングはできあがり。ここからが、いよいよ主役登場。そう、ブドウの葉っぱでフィリングを包む作業が始まるのだ。
作業場所は、キッチンからダイニングテーブルに移る。テーブルの中央に、フィリングの入ったボウルと、百枚ほどもあるブドウの葉っぱを重ねて載せた大きなお皿。個性の強いスパイスの香りに混じって、かすかにブドウの香りが漂ってきた。へえ、葉っぱもやっぱりブドウの香りがするんだ。でも、それは最初の一瞬だけだった。鼻が慣れるに従って、積み重ねた葉からは、むしろ、柏餅の葉に近い、葉緑素の匂いを強く感じた。
それぞれが座る席には、小皿とナイフが用意してある。そして、作業開始だ。 まず、大きい葉っぱは真ん中の軸のところで二つに切る。小さい葉っぱはそのままだ。そして、真ん中の軸と、葉脈の堅いところを、ナイフで切り取る。
「あんまり欲張ってたくさんフィリングを取ると、おいしくできないから気をつけて」 ミルナが手本を見せる。広げた葉っぱの軸の方に、細長く形を整えた親指大の挽肉フィリングを載せ、クルクルっと器用に包み込む。これがドルマ。手ほどきを受けながら、それでもみんな次第に手つきがよくなってきた。少し慣れてくると、おしゃべりをする余裕も出てきた。
今日の生徒さんは全部で四人。手元に集中しながら、みんなで同じ単純作業に没頭していると、初対面 の人たちなのに、なぜか親しい空気が流れてくる。 「このお料理は、シリアではとてもポピュラーなものなの」
ミルナ先生は、手を休めずにこの料理、ドルマについて話をしてくれた。私たち生徒も、手を休めずにそれを聞く。 「人を招いた時なんかには、この料理なしには会食が始まらない、と言われているくらい。パーティがある日には、みんなが集まってテーブルの前に座って、こんなふうにおしゃべりを楽しみながら、たくさんのドルマを作るのよ。それはもう、手間がかかる仕事だけど、この時間もパーティの楽しみのひとつかもしれないわね」
時にはにぎやかに笑いさざめきながら、時にはしんみりと穏やかに、シリアの女の人たちが集まってブドウの葉を巻いている風景を想像してみた。 それは、どこか懐かしい風景だった。たとえば、ずっと昔、母のエプロンにつかまって見ていた、寄り合いの準備をする親戚
のおばさんたちの笑い声とかと重なったりして。 パーティの下準備をしながら、井戸端で洗濯をしながら、キルトを縫いながら、世界中の女の人たちはおしゃべりをしている。忙しく手を動かしながら、それぞれの国のそれぞれの場所で、それぞれの言葉でしゃべりあっている。
ミルナが本当に懐かしんでいたのは、ブドウの葉っぱじゃなくて、そのまわりでゆっくりと流れる、なじみ深い時間だったんだなあ。
ブドウの葉っぱをクルクル巻きながら、そんなことを考えた。 みんなでやる単純作業は楽しい。テーブルの中心に置かれた大皿には、あっという間に五十個以上のドルマが積み上げられていた。これを、厚めにスライスしたジャガイモを敷いた鍋に入れ、ニンニクを中心に据えたら、水を入れ、落としぶたをして火にかける。30分ちょっとでできあがりだ。
その間に、手際よくポテトサラダとコーヒークッキーを作る。今回、ドルマが大作なので、付け合わせはシンプルに、手早くできるメニューを選んだようだ。………特にクッキーは、急なお客様にもあわてず
さわがず、余裕でお出しできる手作りお菓子として、 レパートリーに持っていると便利。本当に簡単にできてしまう。 それから、ヨーグルトベースのソースを混ぜ合わせる。ヨーグルトを塩と香辛料で味付ける、中近東スタイルの簡単ソースだ。
そうこうしているうちに、お待ちかね、ドルマができあがった。鍋ごとテーブルに運ばれてきたメインディッシュは、ふたを開けたとたん、湯気とともに、ニンニクの食をそそる香りを放った。その後から蒸した葉っぱの深い香りが届く。
付け合わせのヨーグルトソースを添えていただく。しっかりとしたブドウの葉っぱを噛みきると、中身は、ジューシーな挽肉にお米のもっちりした歯ごたえが加わった、コクのある味わい。ソースの酸味がエキゾチックな風味をよりいっそう引き立てている。香辛料の中では、コリアンダーとナツメグの香りが勝っていて、これも、やっぱり中近東の香りだ。
ミルナ先生の料理は、いつもしばらくたってから、ふと思い出してまた食べたくなる不思議な魅力がある。たぶん、それは「嗅覚」という、もっとも記憶と密接につながった感覚に、直接作用してくるからだと思う。
強い個性を放ち合う香辛料の中で、一口めと後味に、本当にかすかに香るブドウの香りに気づいたとき、そのことを実感した。 |